青が見たい、と母が言ったので、このキャンバスは青い絵にしようと決めてから描き出した。
コバルトとライトブルー、ミッドナイトブルーとスカイブルー。
青の絵の具には空と海を想起させる名前が多い。
青に関しては、赤色ほどの興味も、金色ほどのこだわりも持っていない。
私の心象風景が青で埋め尽くされる時って言うのは、そう簡単に「楽しい」と認識できる時間ではないからだ。
ひたひたと這い寄る今日の終わりを意識した時に浮かぶ色。
寒さを、冷たさを認知した時にまとわりつく色。
青は色彩学的にも鎮静効果がある色だから、冷静になりたい時には意識して探すといいらしいが、私は寒がりなので、落ち着きたいならダークブラウンを基調にした部屋がいい。
【潜る】の製作について
さて、そんな私の青談義を一時中断して、今回の作品【潜る】のルーツについて。ちなみに読みは「くぐる」である。「もぐる」と「くぐる」じゃ動作が全く違うのになぜに同じ漢字なんだろうか。日本語ってややこしい。
制作中に流していたラジオから、ワンフレーズだけ耳に残した歌詞がある。
男性ボーカルグループの、「美しい日」だか、「美しい夜」だか、なんかそんな曲名だった。自信はないのでググらないでいただきたい。
著作権が云々問題もさることながら、私はそもそも音からの情報を判別する力が大変弱いため、現状このように転記もできないしその歌の題名すら覚えられていないが、そのワンフレーズだけは、衝撃として耳に残ったのだ。明るい曲調の中にありながら、希望を装っていながら、うんざりする疲れが沈殿しているように感じられ、「ああみんな病んでるのね」と、自分が抱えているいらない荷物を、みんな「いらない」と感じながら持ちつ続けていることに気づかされたのだ。
そう、そのワンフレーズを鵜呑みにするなら、夢を叶えた流行りの歌手でさえ、幸せの在処は休日ではなく、仕事を終えた今日終わりと明日までの間のわずかな時間を指すのだ。
まあ歌というのは絵画よりも多くの人間の共感を得なければ「商品」として出荷できないわけだから、不遇時代の気持ちを思い起こして書いたのかもしれないが。
そしてそんな歌が売れてるということは、やっぱり日本人の大多数にとって幸せは休日ではなく休日の前の夜なのかと、人生って面倒臭いなあとしみじみ思ったのだ。
この絵はその歌を初めて聞いた日から大体2年くらいたった、2020年2月中旬、→【向こう】の次に取り掛かった作品になる。
まあ寒い。2月だから。そして描き始めたのは、正に「仕事を終えた今日と仕事が始まる明日の間」の時間だった。
今日あった諸々を無かったことにするために絵にして束ねて、襲い来る眠気に抗わずに眠ってしまえば、一瞬で明日が来ることを、意識する時間。
夜を潜って明日に行く。
私の貧弱な語彙ではそれは「惜しい」だとか「寂しい」だとか、「怖い」に分類されてしまうけれど、眠りに落ちる一瞬前は、眠れる程度に「今日」を束ね切れた日の心中は、夜空とも波間ともつかない冷たさが私を包む。美しく感じる日だって確かにあるけれど、深入りしたら眠気なんて全部どこかに行ってしまう、沈めた「昨日」がひどく近くにある時間の、心の印象。ラジオで聞いた、幸せを感じる人が多いらしい、その時間に私が思っていること。
この【潜る】は空を想起させる名前の青だけで割った背景に、ラメクリアダイアモンドと言う名の絵の具を薄く上塗りした。
さらにガラスビーズ入りのメディウムで、遠く固める。
この描き方だと、ラメクリアダイアモンドが点で拾った光が、ガラスビーズで歪んで広がって、仕上がった時、よりピカピカと光り輝く。
青を基調にすると、メタリックやラメカラーは赤を背景にする時よりも光をたくさん拾ってくれる。光を表現するには闇が一番相性がいい。
描いている間に、今日は昨日になって行く。
いつもよりもより一層、言葉を捨てる「今日」の話は線を結ばず色のグラデーションになる。嬉しかったことも嫌なことも後悔も、明日の心配も全部全部どうでもいいことにしなければ、夜なんて潜れない。
主線はぼやける霞の銀を中心に、言語を固めた金を先端に、溶かしたい意識を黒とブラックメタリックで描いた。
メディウムが乾くには冬場は一晩以上かかる。
翌日、仕上がった絵を見たら、なんだか本当に私は文章で書いた通りのそんな気持ちだったのか、もはやもうぼやぼやでちっとも思い出せなくなっていた次第だが、まあそれはそれだ。描いた日の私にとって、この【潜る】は夜を潜る寸前の気持ちで、仕上がった日の私にとっては忘れたく無かった思い出せない気持ちなのだ。
ああしかし、毎度毎度、題名には苦しめられる。
こんなに作品語りを頑張ったところで結局、絵の答えは全てその日の観覧者が決めるものだ。題名でがっかりされることもあるし、この作品語りは蛇足で、絵の評価を下げるのではないかと毎度毎度更新ボタンを押すのが恐ろしい。
ああだって、発信しなければ私は誰にも見つけてもらえないが、見つからない限り誰からも批判は受けずに済む。私は私に対する嫌悪感ももちろん、好意すら十全に受け止められるほど強くない。自分に向く感情が大変怖い。無意識の失言によって相手が傷つくのではないかと常に恐怖しながら会話している。他人はそこまで私なんぞに興味がないと知っていても辛いものは辛いのである。私が嫌いな人は是非そっ閉じ対応をお願いしたい。わざわざお説教してくれなくていい。安心して欲しい、私は私が正しいなんて自信なんぞ持っていやしない。
正直なところ、私はこの絵を「鳥のよう」と言われても、「炎のよう」と言われても、「あ、そうかもー」と思ってしまう程度に、これだけ作品語りをしていながら、その日の自分が絵に込めた感情を読み解いていないのだ。題名なんてつけなくていいならつけない方が断然安心である。観覧者がこの絵に感じたどんなの印象も、答えも、邪魔せずに済む。
ただ、今回のこの【潜る】は【縒る】と→【向こう】とセットにしてアートムーブと言う公募展に出した。公募規約上、題名は必須だ。そして結果は選外だった。
違う題名だったら違う結果なのかもしれない、と言うモヤモヤはどうしてもつきまとう。
すっごく綺麗なんだけどなあ。自分で言うのもアレだけど。
さて、結果は結果でこの【潜る】はアトリエに帰還してすぐに「アートふるなび」様の手により、ビストロシェモモにて展示していただけることが決まった。
詳しいことは→【向こう】の記事でご確認いただければ幸いである。
私も近いうちに食べに行ってちゃんとレポート作ろうと思っております。すごく美味しそうなお店です。あのお店の写真の壁に、私の絵がかかっているんだぜ。絶対お洒落じゃん。すごい。
さて、起業家セミナーで教わった通り、「日々の自分を全て書いて晒していけば、貴方は画家になれるでしょう」という、なんかの宗教みたいな言葉に則って、こんなどうでも良すぎる話を一体誰が読むだろうかと悩みつつ、書き散らさせていただきました。苦情も何も受け付けませんので悪しからず。1通打つのに1時間以上悩んでしまうのでコメント返信はいたしません。申し訳ありません。
ではでは本日はこれにて。お付き合いありがとうございました!
(2020.4.3 & 7.9執筆【無題(管理No.F10_2020_BLUE_02)】)