私、画家志望の吉田絵美の作品は、頭の重い構図が多い。
意図した上ではなく、無意識的にそうなりやすいことに最近やっと気がついた。
細い花瓶に豪奢な花束、線香から立ち昇り揺らめいて広がって消えていく煙、記録画像でしか知らない衝撃的な原爆の雲の形。
絵画の構図上、下がどっしりと描き込まれている方が安定を得やすい。好まれる構図で、多くの人の安心を誘う安寧な世界を描くなら、癒される一枚を目指すなら、画面の上部に空を描くべきだ。
知っているけど描けるかよ、ばーか。
と自分で自分を罵倒する程度には、私は、不安定な精神を持て余しやすい性質だ。
私の絵画のテーマが、深層ではなく表層の心の印象である以上、そう簡単に平穏を切り取れるわけが無い。
ということで今回の一枚【膨らむ】も再び頭の重い構図と相成った。
【膨らむ】の製作について
2020年の近美春季展のために描いた一枚になる。
公募用なので背景は金だ。目立つのが良い。眩しいのが良い。キラピカが良い。
私の絵において、背景は過去であり、終わった話だ。嫌なことは忘却し底へ沈めて、嬉しかったことだけを浮かせておけば良いのだ。そうとも、わざわざ掘り起こしてなるものか。私は今目の前にある事象だけで、足がすくむ程恐ろしい。眼前を過ぎていくこの頭の重いやつも、解体も解釈もしたく無いから絵にしたのだ。
題名は、母にヒントを貰って付けた。どうせ私にとってしっくり来る題名なぞ見つからない。見つけることを願って描いた絵では無い。私は言語を捨て去りたい。
怖いから絵にした。これが怖く無いものだと、客観的に感じられるようになりたくて絵にした。私の精神は随分前から誤作動がデフォなのだ。全ての事象は一度「怖いこと」フォルダに入れられる。それが怖いことじゃなかったのだと、後から引っ張り出して整理し直す作業がこの創作活動だ。ちゃんと、私の世界は嬉しいくらい光があって美しい。仕上げた絵を見た私はそう言える。私は絵を描かないと自分の心持ちでさえ肯定できない、自分の弱さを知っている。
どうにも、前回の→【剥がす】から、私の「怖い」は厚みを持つようになった。触ったらぶよっとしたり、プシュッと萎んだり、中身があったりなかったり、バラバラと硬さを持って落ちて行ったり、かと思えば煙のように溶け消えることもよくある。そこそこたくさん描いてきたので、よく見えるようになってしまったのだろう。見えないままの方が生きるのは楽だったかもしれないけれど、絵に深度を与えられるようになってきたのは画家としての成長かもしれない。
さて、結局2020年の近美春季展にはこの【膨らむ】ではなく、F6号の【燦然】を提出したので、この絵の3次元での発表は→5月の個展となる。
黒の下地に砂入りメディウムを塗り、金を塗り込め全面に輝く背景の上を、ラメクリアダイアモンドとメタリックイエロー、ゴールドのラインが過去をうるさく囀るこの1枚が、イグエムアートギャラリーの砂漠の砂の壁でどう見えるのか少しばかり楽しみだ。
さて、→起業家セミナーで教わった通り、
「日々の自分を全て書いて晒していけば、貴方は画家になれるでしょう」という、
なんかの宗教みたいな言葉に則って、こんなどうでも良すぎる話を一体誰が読むだろうかと悩みつつ、書き散らさせていただきました。
苦情も何も受け付けませんので悪しからず。1通打つのに1時間以上悩んでしまうのでコメント返信はいたしません。申し訳ありません。
ではでは本日はこれにて。個展会場で嫁入り先が決まることを祈りつつ。お付き合いありがとうございました!
(2020.2.27執筆【膨らむ(No.F10_