宝飾職人からガラスアートへ!ルネ・ラリックってどんな人?

アールヌーヴォーからアールデコ時代のガラスの巨匠、
ルネ・ラリックについてザックリ紹介します☆

ハイ、こんにちは、こんばんわ?
キラピカ☆ガラスアートクラブ
部長の吉田絵美です(・∀・)
今日はどうしても新作が思い浮かばなかったので(;^ω^)
ガラスアート界の巨匠、
ルネ・ラリック氏についてご紹介させていただきます☆

フランス生まれのアーティスト

ルネ・ラリックは
フランスのシャンパーニュ地方のアイと言う
小さくて自然豊かな村で生まれ育ちました。
家族とパリに引っ越した後もたびたび
アイ村に遊びに帰るほど愛着のある村だったようです。
若いころは風景をスケッチして絵はがきにしては
隣村のエペルネィでお小遣い稼ぎしていたそうな。
どれだけ巧い絵が描けても
ちっとも売れない日本じゃ考えられない
お小遣いの稼ぎ方ですよネ~(・∀・)

16歳にして宝飾職人に弟子入りする

1876年、ルネ・ラリックのお父様がお亡くなりに。
母上様の勧めで宝飾職人に弟子入りします。
住まいはパリです。パリジャンですヨ!
ガルニエがオペラ座を作った頃で、
非常に活気があった時代のこと。
おしゃれの最高峰宝飾職人から
社会人スタ―トを切ったルネ・ラリックは
晩年に至るまでルーブル美術館だってある
芸術の都で暮らしたハイセンス男子だったそうです。

パリ万博で大ブレイクする

1990年に開かれたパリ万博で
ルネ・ラリックのジュエリーは大注目を浴びました。
日本のジャポニズムアートの影響も強く、
べっ甲に似た水牛の角で櫛を作ってみたりだとか。
割と宝石加工にこだわらず金銀象牙に螺鈿、
もちろんガラスも組み合わせたデザインで
アクセサリー界に革新を起こし、
一世を風靡したそうです。
しかし流行しすぎで模倣品が出回り、
ルネ・ラリック氏は遺憾極まりなかった事件とも(;^ω^)
なかなか人生上手く行かないもんですねえ(・∀・)

香水瓶の依頼からガラスアートへと完全移行する!

さてブレイクしすぎてバッタものが出回って
腹を立てていたルネ・ラリックのもとに
1907年に香水商フランソワ・コティから
香水瓶のデザイン依頼が舞い込みました。

いやはやまさかこれが
ルネ・ラリックの後半の人生を
丸ごと変える出会いになったとは
フランソワさんも思ってなかったことでしょう(;^ω^)

宝石職人のくせに
宝石よりガラスをメインに持ってくる
かんざしとか作っていたルネ・ラリック氏、
もともとはラベルデザインの依頼だったのに
瓶そのもののデザインをさせてくれと
積極的に売り込みを掛けました。
香水のコンセプトとコラボして
ブランド戦略まで含めたデザインを提案。
1908年、最初の香水分の発表と同じくして
ガラス工場をコーム・ラ・ヴィルに構え、
本格的にガラスアート沼へ飛び込んでいったのでした。
そしてそのまま宝飾職人の地位をあっさり捨てて
日本に箱根ラリック美術館なる物も立てられちゃうほど
ガラスアートでもまた名をとどろかせたんですから
本当驚きの巨匠ですよネ!

ルネ・ラリック製品のどこが凄いの?

写真が無くて申し訳ないですが(;^ω^)
ルネ・ラリックの作品は金型仕様で量産することを
前提にデザインされているのですが、
驚くほどに繊細なデザインが多い
点が挙げられます。
そしてすごく賢いんですヨ。
香水瓶の蓋を大きな扇を広げさせて、
光を透過させた状態のガラスに
また女性の柔らかな曲線美がエッチングされてて(*^^*)
どう魅せたらガラスが美しいか
デザインが映えるか完璧な計算をされている の に !
量産可能な技術であることを前提で作っているのが
本当にすごいと部長は思っています。

もしも箱根に行く機会がある方、
ぜひとも箱根ラリック美術館で
本物のルネ・ラリック作品を観に
行ってみてはいかがでしょうか。
150枚以上のガラスパネルが嵌っているらしい
オリエント急行の作品とか
絶対見応えバツグンに違いないですヨ!

部長もいつか行ってみたいなあ(*^^*)

ではでは本日はこの辺で。
また別の記事でお会いしましょう(^^)/

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